喜多医師会の歴史について

喜多医師会の歴史は明治40年6月28日、安達雲平先生を会長として会員62名で発足したと記録されています。史料的には、明治12年ごろには市立病院や分院の医療活動や明治28年に大洲町愛媛連合医会第3回総会が開催された等の記録は残っていますが、医師会という組織の存在は定かではありませんでした。

20世紀の後半に入ると医科学の進歩は目覚ましく、地域医療も中心的役割を担ってきた診療所は高額な精密医療機器を装備し専門医を配した病院との連携医療が必要な時代となりましたが、大洲地域には連携病院がありませんでした。
昭和54年から岡本正規会長を中心に医師会病院創設の検討が始まり、昭和58年6月13日に愛媛県で唯一の開放型病院として喜多医師会病院が誕生しました。
喜多医師会病院の開設は会員の病診連携医療支援、共同利用施設、研修施設としての機能を果たすとともに地域医療の充実向上に多大な貢献をしています。
平成11(1999)年には全国16番目の地域医療支援病院として承認されました。喜多医師会史に残るエポック的業績です。

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